私は、20代の時にOA機器のメーカー勤務でした。一般事務員として採用になった私は、たくさんの同僚と楽しいOL時代を過ごしました。

ある日、職場に新しいマシンが届きました。先輩が言うには、それは、「ワードプロセッサー」の一号機、今のワープロ専用機でした。ワープロが出るまでは、タイプライターを使っていたのです。それまでは、文書作りというと、タイプライターで一文字ずつ文字を拾って、A4判一枚の書類を作成するのに半日程度かかっていました。一文字でも間違いがあると修正が大変でした。それがワープロの場合には、誤字脱字があっても画面ですぐに直せてしまいます。こんな便利なものが世の中に出回ってくるなんてすごい!と思っていました。

 

そして、社内には、次なる商品、パソコンが出てきました。OA機器メーカーの独自のOSのパソコンでした。一般事務員だった私が、パソコンを使ってみたら、何となく使えてしまいました。そうしたら、これは使えると思った先輩営業マンに、「じゃあ、お客様にパソコンを教えてきてよ。」と言われてしまいました。要するに「パソコンインストラクター」という仕事です。当時のパソコンは、1台200万~300万円の高価なものでした。今のウィンドウズが主流になったのは、それから3年後位の時代でした。私は自分の意思とは関係なく、パソコンインストラクターという仕事にやりがいを感じるようになっていました。

その後、結婚、退職しましたが、再度、同系列のOA機器販売の小さな会社に再就職をしました。パソコンインストラクターという仕事が出来たので、その職場の社内にパソコン教室を独自に開校しました。当時、時代の波に乗って、その教室は生徒さんが予約でいっぱいになって、私は、土日返上でパソコンの先生をしていました。

そんなある日、その職場の社長の息子が後継者として入社してきました。いわゆるドラ息子でした。営業マンとしては全くどうしようもないその息子ですが、社長にとっては可愛い一人息子です。その時、私は、この会社の未来はないなあ、と思ったものです。長年勤務したその会社を退職し、3社ほど転職しましたが、当時、40歳を過ぎていた私には、単なるお茶くみの事務員の仕事でした。悶々とした日々を過ごしていたある日、私は友人に愚痴をこぼしました。

「仕事がつまらない。もっとやりがいがうる仕事がしたい!」

それに対しての友人のひと言は、「あなたは何が出来るの? あなたは何がしたいの?」

私は、その問いかけに、しどろもどろしながら、とにかくやりがいが欲しい、と言ったら

「じゃあ、自分で始めればいいじゃない。独立すればいい。」というものでした。

「独立」という言葉に、びっくりした私は、「え、そんな独立なんて出来るわけがない! 第一お金もないし、どうやって独立するか、なんて知らないし、、、」

オロオロする私に、友人は、追い打ちをかけました。「じゃあ、つまらないお茶くみの事務員に戻りたいの?」

私は、頭が真っ白になって、独立、独立という言葉がぐるぐる回っていました。

そして、次の日、私は、栃木県宇都宮市の駅前のテナント探しを始めました。

 

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